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東京高等裁判所 平成8年(行ケ)30号 判決 1998年1月20日

神奈川県厚木市長谷398番地

原告

株式会社半導体エネルギー研究所

代表者代表取締役

山崎舜平

訴訟代理人弁理士

加茂裕邦

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 荒井寿光

指定代理人

中山時夫

吉野日出夫

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1  当事者が求める裁判

1  原告

「特許庁が平成6年審判第3072号事件について平成7年12月4日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

2  被告

主文と同旨の判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和62年9月12日、名称を「炭素被膜作成方法」(後に、「被膜作成方法」と補正)とする発明について、昭和56年9月7日にした特許出願(昭和56年特許願第140653号)の一部を新たな特許出願(昭和62年特許願第229385号。この特許出願に係る発明を、以下、「本願発明」という。)とし、平成3年11月19日に特許出願公告(平成3年特許出願公告第72711号)されたが、特許異議の申立てがあり、平成5年11月8日、特許異議は理由がある旨の決定とともに拒絶査定がなされたので、平成6年2月23日に査定不服の審判を請求し、平成6年審判第3072号事件として審理された結果、平成7年12月4日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決がなされ、その謄本は平成8年1月31日原告に送達された。

2  本願発明の要旨

反応空間内において、

プラズマ発生空間に被膜形成部材を出し入れ自在に設け、水素と炭化水素化物気体とからなる反応性気体を導入し、前記反応性気体にプラズマエネルギーを供給することにより、

前記炭化水素化物気体の水素を前記水素により、脱水素化し、炭素どうしの共有結合を有せしめて、ダイヤモンド構造を有する炭素被膜を前記被膜形成部材に形成することを特徴とする被膜作成方法

3  審決の理由の要点

(1)本願発明の要旨は、前項のとおりと認める。

(2)これに対し、拒絶査定の理由となった特許異議決定の理由は、本願発明は「Crystal Research and Technology Volume 16,1981,Number 7」の785頁ないし788頁(以下、「引用例」という。)に記載されている技術的事項と同一であるから、特許法29条1項3号に規定されている発明に該当し、特許を受けることができないというものである。

(3)引用例が刊行物であることは明白であり、また、それが本出願前の1981年8月11日以前に頒布されたことは、ドイツ国立図書館の「historishe drucke」部門の部門長代理であるKose氏が署名した平成4年4月21日付け「STAATSBIBLIOTHEK ZU BERLIN」(以下、「甲第8号文書」という。)の記載によって認められる。

引用例は、「低温プラズマによるダイヤモンドの合成」と題する研究論文であって、以下の記載がある。

イ 「ダイヤモンドの低圧オートエピタキシー条件を解析し、プラズマ化学法によるダイヤモンド合成に関する概念を提供した。また、その実験法について記載した。実験結果より、プラズマ化学法によるダイヤモンド合成の合成の有効性を示し、提言した概念の正当性を確認した。」(標題直後)

ロ 「今日の合成ダイヤモンドの工業的生産は高圧法(BAKUL等)によるものであるが、現在は異なった手法によるダイヤモンド合成も研究されている。重要な進展は、ダイヤモンドのエピタキシャル成長が、気相からなされたことである。(中略)その気相は通常水素で希釈された脂肪族炭化水素を含有するものである。」(「1.序論」の項)

ハ 「プラズマ化学法による低圧ダイヤモンド合成にみられる現象の一つの解釈として、イオン化した炭素原子(クラスター)同士の衝突や基板との衝突が生ずる領域は、ダイヤモンドの安定領域の圧力に相当する非常に高い局部圧力になっているというものである。」(「1.序論」の項)

ニ 「本研究のダイヤモンドのプラズマ合成は、低圧下で働くオープンフロー装置の中で行った。反応装置内を所定の流量のガスを流しながら、10~2000Paの等圧状態で実験をした。脂肪族炭化水素あるいはそれらの混合物と水素ガスを混ぜたものを、(混合)反応ガスとして使用した。反応装置は同軸型のもので、グラファイト、もしくはCu、Ag、TiそしてMoの電極を有している。電極チップは数センチから1mの範囲で調節し、印加した高電圧はA.C.20kV以下とした。放電に使用した周波数は100Hzから10MHzの範囲であった。(中略)このような条件下で、電極上や反応装置壁上に固体生成物を形成し、観察を行った。」(「2.実験」の項)

ホ 「光学、X線そして電子写真法によって、固体の生成物は炭素の異なった形態(多形)だけでなくダイヤモンド(結晶)やグラファイトを含んでいた。ダイヤモンドの形状には、多面体状(ほとんどは四面体)、板状、針状結晶であった。」(「3.結論」の項)

これらの記載によれば、引用例には、反応空間内において、プラズマ発生空間に水素と炭化水素化物気体とからなる反応性気体を導入し、前記反応性気体にプラズマエネルギーを供給することにより、炭素どうしの共有結合を有せしめて、ダイヤモンド構造を有する炭素被膜を形成することが記載されていることになる。

しかしながら、そこで形成される被膜は電極上や反応装置壁上であり、本願発明のように出し入れ自在に設けられた被膜形成部材に形成することは明示されていない。また、同様に、それが炭化水素化物気体の水素を水素により脱水素化して形成されたものであることについても記載がない。

(4)引用例に明示されていない点について検討する。

本願発明と引用例記載の技術的事項の被膜形成原料及び手段に特段の差異があるとはいえないから、引用例における被膜形成も、本願発明が要旨とする炭化水素化物気体の水素を水素により脱水素化して形成されたものであるということができ、この点において両者に差異があるとはいえない。

また、引用例は研究論文であるから、被膜の形成は被処理物、すなわち被膜形成対象物上ではなく、電極上や反応装置壁上にとどまっているが、引用例記載の技術は、そもそも被膜形成を意図したものであり、その場合には、被膜は基板等の被膜形成対象物になされるものであるから、被膜を被膜形成部材に形成することは、引用例が元来意図している範囲のものといえる。なお、引用例が積極的に被処理対象物上に被膜を形成することを意図した技術であることは、前記ハの記載からも窺うことができる。

そして、被膜を被膜形成部材に形成することを意図する以上、それを出し入れ自在にすることは、自ずと到達するところである。

以上のとおりであるから、本願発明は、引用例記載の技術的事項と差異があるとはいえない。

(5)したがって、本願発明は、本出願前に頒布された引用例記載の技術的事項と同一であるから、特許法29条1項3号に規定されている発明に該当し、特許を受けることができない。

4  審決の取消事由

引用例に審決認定の技術的事項が記載きれていることは認める。しかしながら、引用例が本出願前に頒布されたことは疑わしく、かつ、審決は、引用例記載の技術内容を誤認した結果、本願発明の新規性を否定したものであって、違法であるから、取り消されるべきである。

(1)引用例の頒布時期認定の誤り

審決は、引用例が本出願前の1981年8月11日以前に頒布されたことは甲第8号文書の記載によって認められる旨説示している。

しかしながら、引用例が技術関係の雑誌であるのに、甲第8号文書の署名者である「COSE」氏が「historishe drucke」、すなわち歴史的印刷部門に属するというのは不可解であるうえ、特許異議申立人が提出した特許庁長官宛上申書によると、甲第8号文書は写しであって上申書添付の書面(以下、「甲第9号文書」という。)が原本であるとされているが、甲第8号文書が手書きであるのに対し甲第9号文書のタイプ浄書されたものであって、両者は明らかに別個の文書であり、かつ、署名の書き方も異なっている(甲第9号文書の署名は「KOSE」である。)から、甲第9号文書をもってしても、甲第8号文書が真正に成立したものとみることはできない。のみならず、甲第8号文書に引用例受入れの日付として記載されている「11.8.1981」は、「1981年8月11日」とも、「1981年11月8日」とも読めるから、甲第8号文書によって引用例が1981年8月11日以前に頒布されたことが立証されるとはいえない。

この点について、被告は、訴外「セイコーインスツルメンツ株式会社 知的財産部 斎藤静雄」作成に係る「回答書」を援用して、甲第8号文書と甲第9号文書は別個の文書である旨主張するが、訴外「セイコーインスツルメンツ株式会社」と本願発明に対する特許異議申立人である訴外松野喜三郎との関係が不明であるし、「回答書」の記載内容は憶測ないし伝聞にすぎず、証拠価値はない。ちなみに、甲第9号文書は特許異議申立期間経過後に特許庁に対し提出されたものであって、適法に提出された証拠ではない。

したがって、引用例が本出願前に頒布されたことを認めるに足りる証拠は存しないというべきである。

(2)引用例記載の技術内容について

<1> 審決は、引用例には「ダイヤモンド構造を有する炭素被膜を形成すること」が記載されていると認定している。

しかしながら、引用例には、審決の理由の要点(3)イ記載のとおり、実験結果により、プラズマ化学法によるダイヤモンド合成の有効性を示し、提言した概念の正当性を確認した記載があるのみであって、被膜形成については何も意図していないし、被膜を作成してもいない。引用例記載の技術において作成されたのは、電極上や反応装置の壁に「粉粒状」、「まだら状」のつぶ、あるいはコーンフレーク状の固体物にすぎない。

したがって、本願発明と引用例記載の技術とは「ダイヤモンド構造を有する炭素被膜を形成すること」において一致するとした審決の認定は誤りである。

<2> 審決は、本願発明と引用例記載の技術の「被膜形成原料及び手段に特段差異があるとはいえないから、引用例における被膜形成も、本願発明が要旨とする炭化水素化物気体の水素を水素により脱水素化して形成されたものであるといえ、この点で両者に差異があるとはいえない」旨説示している。

しかしながら、本願発明は、「プラズマ発生空間に(中略)水素と炭化水素化物気体とからなる反応性気体を導入し、前記反応性気体にプラズマエネルギーを供給することにより、炭化水素化物気体の水素を水素により脱水素化し、炭素どうしの共有結合を有せしめ」ることを要旨とし、具体的には、本願発明の特許出願公告公報(以下、「本願公報」という。)4欄14行ないし36行記載のような工程を行うものである。これに対し、引用例には、審決の理由の要点(2)ニ程度の記載しか存しないのであるから、両者の「被膜形成原料及び手段に特段差異があるとはいえない」とした審決の上記説示は誤りである。

<3> 審決は、「引用例の技術は、そもそも被膜形成を意図したものであり、その場合には、被膜は基板等の被膜形成対象物になされるものであるから、被膜を被膜形成部材に形成することは、引用例が元来意図している範囲のものといえる。」、「被膜を被膜形成部材に形成することを意図する以上、それを出し入れ自在にすることは自ずと到達するところである」旨判断している。

しかしながら、引用例には、反応装置内に水素と炭化水素化物気体とからなる反応性気体を導入し、前記反応性気体にプラズマエネルギーを供給することにより電極上や反応装置壁上に固体生成物が形成されたが、その中にはダイヤモンド構造を有する炭素も含まれていた旨紹介されているにすぎず、本願発明のように、被膜形成部材を設けることは全く意図されていない。

したがって、引用例記載の技術においては、被膜形成部材を用いる必要はなく、これを出し入れ自在に設ける必要もないから、審決の前記判断は誤りである。

以上のとおりであるから、本願発明は引用例記載の技術的事項と同一であるとした審決の認定判断は、明らかに誤りである。

第3  請求原因の認否及び被告の主張

請求原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願発明の要旨)及び3(審決の理由の要点)は認めるが、4(審決の取消事由)は争う。審決の認定判断は正当であって、これを取り消すべき理由はない。

1  引用例の頒布時期について

原告は、引用例が本出願前に頒布されたことを認めるに足りる証拠は存しない旨主張する。

しかしながら、訴外「セイコーインスツルメンツ株式会社知的財産部 斎藤静雄」作成に係る「回答書」(乙第8号証の2)によって明らかなとおり、甲第8号文書は、訴外日本技術貿易株式会社の欧州駐在員が旧東ドイツ国立図書館から交付を受けて訴外日本技術貿易株式会社宛にファクシミリ伝送し、同社が訴外セイコーインスツルメンツ株式会社宛にファクシミリ伝送してきたものを複写したものであり、一方、甲第9号文書は、訴外日本技術貿易株式会社の欧州駐在員が改めて旧東ドイツ国立図書館から交付を受けて訴外日本技術貿易株式会社宛に郵送し、同社が訴外セイコーインスツルメンツ株式会社宛に郵送してきたものであって、両者は別個の文書である(特許異議申立人が提出した特許庁長官宛上申書の、甲第8号文書は写しであって、その原本が甲第9号文書である旨の記載は、誤解に基づくものである。)。したがって、甲第8号文書が真正に成立したものであることに疑いの余地はない。

そして、甲第8号文書に引用例受入れの日付として記載されている「11.8.1981」は、同文書作成の日付として記載されている「16.3.92」との整合性を考えれば、「1981年8月11日」であることは明らかである。このことは、引用例が、わが国の国立国会図書館に昭和56年(1981年)9月29日に受け入れられていること(甲第7号証参照)からも疑いの余地がない。なお、原告は、甲第9号文書は特許異議申立期間経過後に特許庁に対し提出されたものであって、適法に提出された証拠ではない旨主張するが、甲第9号文書は甲第8号文書によって証明しようとする特許異議事由と同一の事実関係を証明するための証拠であるから、その提出時期が特許異議申立期間経過後であっても何ら問題はない。

2  引用例記載の技術内容について

(1)原告は、引用例には実験結果によりプラズマ化学法によるダイヤモンド合成の有効性を示し、提言した概念の正当性を確認した記載があるのみであって、引用例記載の技術は被膜形成については何も意図していない旨主張する。

しかしながら、引用例記載の技術の前提となる「1.序論」の項には、水素ガスで希釈された炭化水素ガスからのダイヤモンド合成がエピキャシタル成長によること、及び、その成長は基体上に行われるものであることが記載されており、エピキャシタル成長技術は薄膜形成技術の主要な手段であること、及び、それが薄膜と一体不可分な基体上に形成されるものであるとの技術常識からみて、引用例記載の技術は単にプラズマ化学法によるダイヤモンド合成の有効性の確認だけでなく、積極的に被処理対象物上に被膜を形成することを意図した技術であることが明らかであるから、原告の主張は理由がない。

(2)原告は、本願発明と引用例記載の技術の「被膜形成材料及び手段に特段差異があるとはいえないから、引用例における被膜形成も、本願発明が要旨とする炭化水素化物気体の水素を水素により脱水素化して形成されたものであるといえ、この点で両者に差異があるとはいえない」との審決の判断は誤りである旨主張する。

しかしながら、原告主張の本願公報4欄14行ないし36行記載の工程は、本願発明の要旨外の事項である。そして、本願発明は、「プラズマ発生空間に(中略)水素と炭化水素化物気体とからなる反応性気体を導入し、前記反応性気体にプラズマエネルギーを供給することにより、炭化水素化物気体の水素を水素により脱水素化し、炭素どうしの共有結合を有せしめ」ることを要旨とするのに対し、引用例には、「プラズマ発生空間内に水素と炭化水素化物気体とからなる反応性気体を導入し、前記反応性気体にプラズマエネルギーを供給すること」が記載されている。そうすると、本願発明と引用例記載の技術的事項は、原料ガス及び反応条件を共通にするのであるから、同一の反応過程を経て、同一のものが形成されると解するのが当然であって、審決の前記判断に誤りはない。

(3)原告は、引用例記載の技術は本願発明のように被膜形成部材を設けることは全く意図していないから、「被膜を被膜形成部材に形成することを意図する以上、それを出し人れ自在にすることは自ずと到達するところである」との審決の判断は誤りである旨主張する。

しかしながら、引用例の「1.序論」に水素ガスで稀釈された炭化水素ガスにプラズマ化学法を施すとエピタキシャル成長によって基板上にダイヤモンドが形成される旨が記載されていることは前記のとおりであるから、引用例記載の技術的事項が被膜形成部材としての基板の存在を前提としていると考えるのは当然のことである。そして、基板に被膜を形成するためには基板をプラズマ発生空間に出し入れする必要があることは自明の事項にすぎないから、審決の上記説示にも誤りはない。

第4  証拠関係

証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

第1  請求原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願発明の要旨)、3(審決の理由の要点)、及び、引用例に審決認定の技術的事項が記載されていることは、いずれも当事者間に争いがない。

第2  そこで、原告主張の審決取消事由の当否を検討する。

1  成立に争いのない甲第2号証(本願公報)及び第4号証(平成4年10月30日付け手続補正書)によれば、本願明細書には本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果が次のように記載されていることが認められる。

(1)技術的課題(目的)

本願発明は、ダイヤモンドと類似の炭素又はダイヤモンドを主成分とする材料により炭素被膜を形成することを目的とするものである(本願公報1欄10行ないし13行)。

従来のスパッタ法あるいは常圧気相法等によって形成される被膜は、被膜形成部材の側面を0.2μm以上の厚さで覆う結果、対磨耗層である上面を2μm以上の厚さで覆う必要があった(同3欄9行ないし13行)。

本願発明の目的は、炭素等を主成分とする被膜の特性を損なうことなしに、上面と側面にほぼ同じ薄さの被膜を形成する方法を提供することである(同3欄13行ないし20行)。

(2)構成

上記の目的を達成するため、本願発明は、その要旨とする構成を採用したものである(手続補正書2頁5行ないし15行)。

(3)作用効果

本願発明によれば、炭素等を主成分とする被膜の特性を損なうことなしに、薄い被膜を形成することが可能である(本願公報6欄34行ないし41行)。

2  引用例の頒布時期について

原告は、引用例が本出願前に頒布されたことを認めるに足りる証拠は存しない旨主張する。

検討すると、成立に争いのない甲第8号証によれば、甲第8号文書には、ドイツ国立図書館が本出願前である1981年(昭和56年)8月11日に引用例を受け入れた旨が記載されていることが認められる。

この点について、原告は、引用例が技術関係の雑誌であるのに甲第8号文書の署名者である「COSE」氏が歴史的印刷部門に属するというのは不可解であるうえ、特許異議申立人提出の上申書によると甲第8号文書は写しであって甲第9号文書が原本であるとされているが、両者は明らかに別個の文書であり、署名の書き方も異なっているから、甲第9号文書をもってしても甲第8号文書が真正に成立したものとみることはできない旨主張する。しかしながら、甲第8号文書に記載されている「ABTEILUNG:Historishe Drucke」の担当事務内容が明らかでない以上、その「部門長代理」が甲第8号文書に署名することが直ちに不自然であるということはできないし、成立に争いのない乙第8号証の2(「訴外セイコーインスツルメンツ株式会社 知的財産部 斎藤静雄」作成に係る「回答書」)によれば、甲第8号文書の原本と甲第9号文書とは、時期を異にして旧東ドイツ国立図書館から交付を受けた別個の文書である(特許異議申立人提出の上申書の、甲第8号文書は写しであって、その原本が甲第9号文書である旨の記載は誤解に基づくものである)ことが認められるから、原告の上記主張は当たらない。原告は、上記「回答書」の記載内容は憶測ないし伝聞にすぎず証拠価値はない旨主張するが、甲第8号文書及び甲第9号文書の体裁及び記載内容を併せ考えると、上記「回答書」に記載されている経過に不自然なところはなく、甲第8号文書の原本が真正に成立したものと認めることに妨げはない。このことは、成立に争いのない甲第7号証によれば、わが国の国立国会図書館が昭和56年(1981年)9月29日に引用例の受入れを行っていることが認められることによっても、十分に裏付けられるというべきである。

また、原告は、甲第8号文書に記載されている「11.8.1981」は1981年11月8日とも読める旨主張する。しかしながら、前掲甲第8号証によれば、甲第8号文書には同文書の作成日付として「16.3.92」と記載されていることが認められるから、前記「11.8.1981」は1981年8月11日の意味であると考えるのが当然であって、原告の上記主張は当たらない。

以上のとおりであるから、引用例は本出願前に頒布されたとする審決の認定に誤りはない。

3  引用例記載の技術内容について

(1)原告は、引用例には実験結果によりプラズマ化学法によるダイヤモンド合成の有効性を示し、提言した概念の正当性を確認した旨の記載があるのみであって、引用例記載の技術は被膜形成について何も意図していないから、「ダイヤモンド構造を有する炭素被膜を形成すること」において本願発明と一致するとした審決の認定は誤りである旨主張する。

しかしながら、成立に争いのない甲第7号証によれば、引用例には次のような記載があることが認められる。

a 「ダイヤモンドのエピタキシャル成長速度は、基体がグラファイトに覆われるに従って小さくなる。」(785頁「1.序論」の8行、9行)

b 「気体の種同士および基板との効果的な衝突頻度」(786頁8行、9行)

c 「プラズマ化学法による低圧ダイヤモンド合成にみられる現象のひとつの解釈として、イオン化した炭素原子(クラスター)同士の衝突や基板との衝突が生じる領域は、ダイヤモンドの安定領域の圧力に相当する非常に高い局部圧力になっているというものである。」(786頁24行ないし28行)

これらの記載によれば、プラズマ化学法によってダイヤモンドをエピタキシャル成長させるためには、イオン化した炭素原子が効果的に高頻度で衝突し、非常に高い局部圧力を形成する基体(基板)の存在が不可欠であることが明らかである(ちなみに、成立に争いのない乙第3号証(金原粲ほか著「薄膜」 株式会社裳華房昭和55年10月20日発行)によれば、エピタクシー(epitaxy)とは、単結晶の上に気相から凝縮した物質がまた単結晶になる現象であって、古くから知られていたことが認められる。)。

このように、エピタキシャル成長を実現するためには基体(基板)の存在が不可欠であって、引用例記載の技術は、電極あるいは反応装置の壁を、便宜上、基体(基板)としているにすぎないと考えられるところ、その電極の上、あるいは、反応装置の壁の上を覆うようにして形成される「固体生成物」が、本願発明が要旨とする「ダイヤモンド構造を有する炭素被膜」に相当することは当然であるから、この点において本願発明と引用例記載の技術とは一致するとした審決の認定に誤りはない。

(2)原告は、本願発明と引用例記載の技術の「被膜形成原料及び手段に特段差異があるとはいえないから、引用例における被膜形成も、本願発明が要旨とする炭化水素化物気体の水素を水素により脱水素化して形成されたものであるといえ、この点で両者に差異があるとはいえない」とする審決の説示は誤りである旨主張する。

しかしながら、上記主張の論拠として原告が援用する本願公報4欄14行ないし36行記載の工程は、本願発明の一実施例として示されている方法であって、本願発明における「脱水素化」を生起する「一つの工程」として位置付けられるものであり、本願発明はこの工程を必須の構成要件とするものではない。

そして、プラズマ発生空間に水素と炭化水素化物気体とからなる反応性気体を導入し、この気体にプラズマエネルギーを供給する技術が引用例に記載されていることは原告も争わないところであるから、結局、本願発明と引用例記載の技術とは、プラズマ化学法を実施するための原料ガス及び反応条件において全く共通することが明らかである。したがって、両者は、全く同一の反応過程を経て、全く同一の炭素被膜を形成するものと解するのが当然であって、審決の上記判断に誤りはない。

(3)原告は、引用例記載の技術的事項は本願発明のように被膜形成部材を設けることを全く意図していないから、「被膜を被膜形成部材に形成することは、引用例が元来意図している範囲のものといえる。」「被膜を被膜形成部材に形成することを意図する以上、それを出し入れ自在にすることは自ずと到達するところである」とした審決の説示は失当である旨主張する。

しかしながら、プラズマ化学法によってエピタキシャル成長を実現するために基体(基板)の存在が不可欠であることは前記のとおりであるところ、前掲甲第7号証によれば、引用例には、その実験装置が「オープンフロー装置」(786頁「2.実験」の1行、2行)あるいは「同軸形」(同5行)であることが記載されていると認められるから、同装置が必要に応じて被膜形成部材を出し入れし得る構造のものであることは、当業者ならば当然に理解できるところである。

したがって、審決の上記説示を誤りということはできない。

4  以上のとおりであるから、本願発明の新規性を否定した審決の認定判断は正当であって、審決には原告主張のような違法はない。

第3  よって、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する(平成9年12月16日口頭弁論終結)。

(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 春日民雄 裁判官 持本健司)

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